昨日、オタク父と映画『花戦さ』を観てきました。
初代・池坊専好という花の名手と千利休の友情、そして、戦国時代において京都の町衆である六角堂にいる花僧が、彼らの代表者として、時の権力者である豊臣秀吉の乱心に、刃ではなく、花をもって仇討する物語。
主演は野村萬斎さんですが、佐藤浩市さん、佐々木蔵之介さん、市川猿之助さんなども出演されるかなり豪華な映画です。最初は一人で観に行こうと思っていたのですが、オタク父が
「磯田道史さんが、面白い!って推薦してはったし僕も行くわ!」
だとか。オタク父は歴史学者、磯田先生の大ファン。先日もわざわざ講演会に行ってはりました。でも・・・磯田先生ってこの映画の関係者だったっけ?
磯田道史先生も、お勧めです!
調べてみましたら、原作者でもないのにこの映画に入れ込んではるそうです。“人類共通の体験にしてほしいと思う映画だから”ですって。
う~ん、この記事を調べてから観に行けば良かった・・・そうしたらもっと深く観られたかも?
『花戦さ』で描かれる戦国時代は、当初は誰しもが天下人になれるかもしれない状態であり、“暴力”が拡散していました。その暴力が集中統合されるのは信長、秀吉ら天下人が現れる時代。戦乱は収束し、暮らしも安定しはじめたはずです。そうなってくると怖いのは、集中統合された暴力が自分の頭に降ってくること。天下人の持つ暴力は絶大なものでしたから。例えば秀吉は、朝鮮出兵の際に人口1200万人くらいの当時の日本から、な、な、なんと48万人を動員し、10万丁単位の火縄銃をコントロールしています。そのくらい彼は力を持っていた。その上、言論統制まで始めたりするわけですよ。これは当時の人にとって、生活が安定する一方で、大きな恐怖だったわけです。
現在はどうかというと、戦後70年も経ち、もうないかと思ったら、いまだ核や生物化学兵器の恐怖にさらされています。集中統合された暴力の恐怖から、まだ解放されていないわけです。
~中略~
『花戦さ』という映画で、人間がこだわるさまをこれだけ見せられ、僕はあらためて、“歴史とはこだわらない心を知る手段”なのだと思いました。自己のとらわれているところ、不器用なところを知り、不器用は不器用なりでいいので、人を傷つけないようにと。そう思わせる映画でした。
ネタバレをかなり含むために中略させて頂きました。それでも長くなってしまい、ゴメンナサイm(__)m。
これから観る方もいらっしゃるので詳しくは控えますが・・・多様性を認めよう!という結論に。時代劇なのに、ある意味今っぽい映画でした。戦国時代なのに、合戦シーンが全くないのは興味深かったです。
オール京都ロケ!見覚えある場所が出てきます(^-^)
- 祇王寺
- 大覚寺
- 鹿王院
- 梅宮大社
- 仁和寺
- 妙心寺
- 金戒光明寺
- 南禅寺
大徳寺として南禅寺が映ったときは、あれ?と思ってしまいましたが・・・京都が盛りだくさんです。宜しければ見てみて下さいね。
ちなみにエンディングのキャストに京都市長のお名前がありましたが、全く分からなかったな~。普段はお着物だからある意味目立ってはるけれど、この時代は全員着物だし(^-^;