京都てっぱん日記

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「歴史探偵」5.15放送「清少納言と枕草子」:中宮定子の住まい「登華殿」・船岡山・牛車の入れない門「平生昌邸」。

歴史探偵、録画してたまに見ていますが今回は枕草子・・・ミーハーで流行り物に弱いので、個人的に行ってみたいと思いまとめてみました。勉強になりました!

登華殿

中宮定子の住まい、登華殿。ブラタモリでもおなじみ、梅林秀行さん*1の案内で向かったのは現在の京都御苑(御所)よりは西に2キロ離れた場所とされます。先週の放送ではまひろが中宮定子に初対面していました。

現在は介護施設になっており、建設前の発掘調査で詳細が分かったそうです。

京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告 2015 - 6

アナウンサーさんと梅林さんが行ってみたところ、現在は周囲に住宅が建ち並んで残念ながらここからは東山方面が見えない感じ?

 

船岡山

枕草子「紫だちたる雲の細くたなびきたる」を求めて訪れたのは船岡山。枕草子にも「岡は船岡」という記述があるそうです。

ロケは3月の午前5時過ぎ、そしてスタッフさんが5回も訪れた努力のかいあって本当に美しく撮れていました。

 

平生昌邸

父が亡くなり兄も流されて追い出されて没落した中宮定子が、最後の時間を過ごした邸宅。現在は銭湯になっています。

こちらで起こった出来事、藤原実資による「小右記」に詳しく書かれていますが当時は大スキャンダルだったそうです。

長保元年8月9日、中宮定子は第2子出産のため、職曹司から出御することになります。通常、懐妊した后は里邸に入るのですが、定子の里邸の二条宮は長徳の変後に焼失してしまいました。中宮が参入するのに相応しい邸を持った貴族たちには、道長方の無言の圧力がかかっていたと思われます。出御先となった所は、当時、中宮職の大進だった平生昌の自宅でした。中宮職は中宮に関する事務を行う役所で、大進はその三等官、大臣と音は同じですが、地位は比べようもありません。

一方、生昌にとっては、自分の家に中宮が滞在するなど思ってもみなかった一大事で、定子を迎え入れる準備に大奮闘したことでしょう。しかし、定子行啓が決まった時点から、ある問題が起こります。生昌宅には皇族が入るための門が備えられていなかったのです。

そこで、「東の門は四足になして、それより御輿は入らせたまふ(東側の門は四足門に改造して、そこから中宮の御輿はお入りになる)。」ということになりました。四足門とは、門の2本の柱の前後に柱をさらに2本ずつ設けた格式の高い門です。すなわち中宮行啓のために東の門を改造したということですが、『小右記』には、「件宅板門屋、人々云、未聞御輿出入板門屋云々」とあり、生昌宅は板門屋で、人々は御輿が板門屋に出入りするなど聞いたことがないと言ったと記されています。

(41) 生昌邸行啓~車の入らない門~ | 『枕草子日記的章段の研究』発刊に寄せて(赤間恵都子) | 三省堂 ことばのコラム

個人的には定子さまにゆかりのあるスポットをもっと巡ってほしかったなあ。

枕草子は単なる「をかし」エッセイではなく定子の素晴らしさを書きたい、定子さまを褒めるという目的があったとのことでなるほどなあ、と切なくなりました。特に今週の「光る君へ」を見たあとは辛い・・・。

*1:梅林さんは歴史地理に関するテレビ番組に多数ご出演。ブラタモリの京都特集では必ず出演されていました。

京都に関する本も多数書かれており、2016年の京都本大賞で『京都の凸凹を歩く―高低差に隠された古都の秘密』がリピーター賞を受賞しています!